塾の勉強とはなにか?英語では、よくcram schoolと言うが、cramとは「詰め込み勉強をさせる」という意味なので塾をそういうのだろうが、最近はそのままJukuという表現も英和辞典には掲載されている。その方が意味的には正確かも知れない。cram school は「(日本の)予備校、進学塾」合格実績だけを目標にしているところはそうかも知れない。合格実績ももちろん、ある教育の成果としては大切なもので疎かにするものではないが、その前提にもっと大切なものがあると思う。それをないがしろにしてしまうと、やはり違ったものになってくる。では、その前提とは?
容易に言葉では説明できないが、簡単に言えば、「学習に取り組む姿勢」となる。「勉強さえできれば何でも許される?」 と対極のものかも知れない。そういう意味で、自分の活動の場は、Jukuであり cram school ではない。生徒たちには、「学習に取り組む姿勢」の一つとして(「姿勢の」一部であり「姿勢」のすべてではありません)、塾で学習する際のルールを守ってもらっている。それについては、以前のブログでも紹介しているのでそちらをご覧下さい。「學志館のルール」
ただ、実際には日々の生徒たちの学習の積みかさねの中で、色々なものが形成されている。そこに、私たちは日々関わっているのだが、勉強がいつも創造的で楽しいと思うことばかりではないのが現実で、創造的で楽しい勉強ができるためには日々学習を積み重ねないといけない。それは、計算力であったり、漢字や英単語の暗記であったりと、単純で忍耐のいる作業である。これを勉強と思い違いをしてしまうと、勉強が嫌いになってしまう。それらは勉強の一部ではあるが全体ではなく、創造的で楽しいことを学ぶ前提になるものであると言うことに、生徒たちは気づかなくてはならないか、知らずともそれに取り組むことは大切なことであると思っていなくてはならない。そこが「意識付け」になる。生徒に「今取り組んでいる勉強なるものは何か?」と自問し自覚してもらうことも大切な学習の一貫である。また、物覚えがいいからと「自分は勉強ができる」と思いこんでしまうことも間違いである。日本の教育の場合、物覚えのいいことがイコール勉強ができると位置づけされてしまうことに問題があると思う。第2次世界大戦の頃、日本軍と戦ったソ連のある将軍は「日本兵は勇敢で優秀だが、指揮官はバカだ!」と言ったと何かで読んだことがある。今の教育が何を目指しているかとリンクしていて面白いと思った。手段を目的と勘違いしている。ゆとり教育が薄めてしまった基礎的な学習力を現在復権しようとしているが、単なる回帰であればまた、同じ事の繰り返しである。本来の教育の目的は何か?それを日本の教育はもっと全面に打ち出しても良いのではないか。
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