前回に引き続き漢字学習について報告します。漢字学習も回数を重ねるにつれて少しずつ、安定してきた。漢字のテストは15分ほどが理想的だが、3週目くらいでその目標に到達した学年は小3のクラス。今週は15分で漢字学習は終了し、残りの時間は文章読解の時間に充てることができた。6年生は安定していて15〜20分で終了する。人数が多いため15分は難しい。その分授業時間は他の学年より10分長くしている。小4と小5はまだ授業の大半を漢字学習に充てている。ただ、回を増すごとに再テストを受ける生徒の人数や時間が確実に短くなっている。国語の授業時間を大半漢字学習に充てるのは一般的な授業計画からすると不自然な時間配分かも知れないが、私はそれで良いと思っている。最初に勉強の型をしっかりと身に付けてもらうことは、今後の学習能率を確実に飛躍させる。
昔の話になるが、江戸時代の侍の師弟の教育には、漢文をそらんじるという型からはいる学習が中心だった。初等教育の教科内容は四書五経であった。後に明治維新を推進した多くの門下生を輩出した「松下村塾」の吉田松陰が5歳から18歳まで教えを受けたおじ、玉木文之進は「かたちは、心である」とよく言い、書物を読む姿勢にも厳しかったという。そのため、松蔭はよく折檻を受けたという。維新後、玉木は親戚の乃木希典を預かり教育した。また、欧州では古典としてのギリシャ語・ラテン語の学習を幼年期から施されていた。
話が多少逸れてしまったかも知れないが、今の時代、子どもに折檻など親でもなければできるものではないし、かたちが大切だからと言って無味乾燥な形ばかりを強要するつもりもない。歴史上教育が停滞し硬直すると出てくる新しい流れは自由化の流れである。それは、新しい発想と時代に適応する教育の改革を目指すものとして尊重はしたい。しかし、いつの時代にも共通して学ぶ主体としての生徒の学習の基本姿勢は変わらないものがあると思う。それがぶれてしまうと、いくら楽しくて分かりやすくて便利な教育方法(教育機材)が出てきても、それを自分の学習に有効利用はできない。結局は時代や学習環境がどう変わろうと学習主体である生徒本人次第であることに変わりはない。そういう意味では、手取り足取り漢字の学習を通して、子どもの学習姿勢を構築していくことは大切なことだと思っている。それも学年が早い時期に身に付ける方が有効である。小学生に「来週はゴールデンウィークでお休みだよ」というと、「えー(塾に)来たい!」と言ってくれる。(感激!)漢字でこんなに苦労しているのにである。しかし、学年が上に行くにつれて、さらに、中学生にもなれば「やったー!」と大喜びされてしまう(涙)のは、忙しくなるから仕方ないとして、、、
子どもたちは日々進化している。それを間近に見ることができる。目標を設定し、それに向かう学習ラインを構築し、共に学習していく。その中で子どもたちからいろいろなことを教わり、フィードバックしてまた学習ラインを再構築していく。今年は良いスタートがきれたと思っているが、子どもたちからは目が離せない。今日から學志館は6連休に入る。しっかりと充電し5月からの学び合いに備えたい。
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