今回訪れた、三内丸山遺跡について。まだ、現在、遺跡等の発掘や整備、全体像の把握については進行中の印象を受ける。なぜなら、遺跡の全容が明らかにされていない。その結果、約5500年前〜4000年前の縄文時代の集落跡で、長期間にわたって定住生活が営まれていたにもかかわらず、なぜ、忽然とその後の消息が途絶えてしまったのか? 他の勢力による進行にさらされたのか?それとも、気候・地質の変化により、他への移住を余儀なくされたのか? 疑問点は多く存在する。それらの調査については、県の教育庁文化財保護課が精細な調査を実施している。その報告は次のURLに詳しい。今後も歴史の教科書が書き換えられるような発見が期待できる遺跡である。
また、遺跡に隣接して北西に県運転免許センターの大きな建物があり、林に囲まれた遺跡の背後にぽっかりとその近代的な建物が
浮き上がっているのは、ここを縄文時代への入り口として現代とは遙か彼方の時空間を演出しようとする主催者の意図をぶち壊すような景観になってしまっているのは残念である。
出土品も多く、縄文時代の人々の生活を知る上での貴重な資料となっている。
今回、本州の北端にある三内丸山遺跡を訪ねてみて思ったことは、R.G.コリングウッド(英国の歴史家)の「歴史的知識は現在の思想の文脈の中に閉じこめられた過去の思想の再構成(再制定)である。」
つまり、過去は現代の人間の思想の中で捉えられるもの。現代の人間が思うところで過去を思うことができるというもので、現代人の想像力の限界が過去の遺跡を決定するというもの。そのなかで、もっと想像力を働かせてみれば過去の遺産も別の見え方を表してくるのではと過去へのロマンをかき立てられるものでした。
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いつも拝見させていただいています。三内丸遺跡ですか。いいですね。私は「出口のない海」の回天記念館(地元ですから)行って参りました。
投稿情報: 志学ゼミ 阿部 | 2006/08/17 18:09
阿部先生コメントありがとうございます。講習中私の方はブログの更新ができませんでしたが、志学ゼミでは毎日更新しているとは敬服します。回天ですか。話は聴いたことがあります。私もこの休み期間、劇場で観られなかった「男たちの大和」をDVDで観ました。死を覚悟で戦った当時の日本人の若者たちの思いの延長上に今の私たちがあることを忘れてはならないと思いました。
投稿情報: genesis | 2006/08/18 00:34