今日は中3の英語のクラス授業。生徒が真剣に勉強に取り組んでいる様子を気がつかないうちに、ぱちりとやろうと思ったら、すぐに気づかれ、
撮り直しまで。
普通は恥ずかしがって下を向いているだろうと思いきや、あの明るさ?
授業後、地獄の再テストが待っているのに、、、
「鉄は熱いうちに鍛えよ」
この彼らの柔軟さ、素直さが勉強する人間に絶対に欠かせない資質と思う。
自分が中学生の頃はもっと牧歌的だった。ボーとしていても日は過ごせた。
しかし、今の彼らの環境は物質的にも自分の時代と比べ圧倒的に密度が「濃い」。
豊かだと簡単にはいえない。豊かだから幸せとは限らないように。
まず、自分を取り巻く様々な誘惑に打ち勝たなくてはならない。
テレビや音楽、ゲーム、携帯電話、インターネット等
テレビや音楽は自分の時代にもあったが、いまほどバラエティーに富んではいないし。音楽もたまにレコードを買ってきてレコードプレーヤーなるものの上に置き、針を載せ、一曲終わるとレコードをひっくり返してやっていたもの。
(こんなことを書くと生徒たちに「先生は大正や明治の人だ!」と必ず言われそうなので断っておくけれど断じて違う!!)
つまり、自分のなすべきことに集中するには、それなりの能力が必要。能力でおかしければ資質が欠かせない。
その能力や資質を身につけることも勉強の目的の一つ。
おだてられ、ホイホイされて勉強し、やれ家庭教師だ塾だと、周りから突き動かされて勉強ができたとしても、それは本当に自分のものといえるか? などと塾をやっていながら言うのはおかしい。また、諸般の事情で塾に通えない子たちもいる。
だからこそ、こういう機会を貴重なものとして過ごしてほしい。
こちらも、甘え、妥協は許さない。生徒が努力してできることはやってもらう。
もちろん個人差はある、段階もある。それらを認めた上で、最後に残る大切なこととは、自分の甘さに打ち勝とうとする気持ち。
「敵は身の内にあり」
この自分に打ち勝つ経験は自分の一生の宝となる。
「かっこいいこと言うけど、じゃあーお前は自分に完全に打ち勝っているのか?」
と問われたら、
NOである。
しかし、七回転んでも八回起き上がろうと努力している。
しかも、自分に勝つことが最も大切だという信念を持っている。
この信念を持つことも自分の能力であり資質であると思っている。
そして、その分、生徒たちよりも半歩まえを歩いていると思っている。
だからこそ、はじめの方に書いた、 「鉄は熱いうちに鍛えよ」
若く、柔軟で素直でエネルギーのある、発展途上のうちに大切なことを身につけてもらいたい。
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