最近出版された、出口注氏の『論理の力』から、気づいたことを書いてみます。
世界中のトップクラスの子どもたちが受けている教育は「教育」ではなく「学育」にすでに変わってきている。「教育」とは先生が生徒に教えること。それに対して、「学育」は生徒が自ら学び育つこと。ただし、アメリカ全体では、二極分化が進み多くの学校は昔ながらの詰め込み教育を行っているが、トップクラスの高校では「学育」が主流になっていると。さらに、「欧米では下位校でやっているような詰め込み教育を、日本では上位校までもがやっている。そこが決定的に違うところである。」と、日本人でありながら、スタンフォード大学の教授であり、その附属高校の校長をしている、星知啓(ほし ともひろ)氏が語っている。
ここまでは、『論理の力』第1章に書かれていることのうち印象に残ったことを一部とりあげました。
次は、私(志村)が上記の箇所を読んで思った内容です。
古代ギリシャの哲学者プラトンの想起説や夏目漱石「夢十夜」を思い出します。「夢十夜」第六話に出てくる、運慶の一木造の箇所にある「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿(のみ)と槌(つち)の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。」教育的に考えると、木の中に埋まっているものに気づき発見し、掘り出すとは、自分の中に隠されている「設計図」に気づき、その実現に向けて努力する行為。さらにその手助けすることが教育と考えます。
人間は既に自分の内側に想起するもの、掘り出すべきものを持っている。それを自ら正しく想起し、掘り出す。そのためには、内側に隠されているものを発見する手段として「論理」が必要になる。生徒自らが課題を発見し、「論理」を組み立て、解決し現実化するという方向に教育は本来向かう必要があり、それに気づいた人たちは既にその方向へ舵を切っている。しかし、公教育や学校教育の場でそれが主流になるにはまだまだ時間がかかる。そのため、身近ですぐに始められる、「新しい教育」を「出口式みらい学習教室」としてスタートしようとしています。
最後まで、お読み頂きありがとうございました。
お読み頂いた方に、耳寄りな話です。 6月入学生は入学金10,000円無料です。 ぜひ、お子様の教育の手助けをさせてください。
學志館のブログは、代表である、志村が主に書いています。
コメント