最近読んだ本で興味深いものがありました。書名はタイトルにあるように『英語化は愚民化』日本の国力が地に落ちる で本の帯にはさらに過激なキャッチが。英語化政策で自ら「植民地」に! 著者は政治学者で九州大学大学院准教授の施 光恒氏。
普段小学生から高校生までの生徒に英語を教えていて、最近の日本の英語教育の流れに危惧の念を抱いていた自分としても興味深い内容であり、大いに共感できる内容でした。英語を取り上げているから本来は英語研究の専門家が書いてよさそうなものですが、政治学者が書いた理由として、著者本人が説明しています。
「政治学者である私が英語化政策の問題を扱うのは、それが日本という国の未来に、そして国民一人ひとりの将来の生活に、重大な影響を及ぼすからだ。
政治学が扱う主な対象は、政策であり、政策が作り出す秩序のあり方だ。言わば、「国の形」である。その国の形が、今まさに英語化政策によって奇妙に歪められようとしているのだ。」
この国民の将来の生活に及ぼす「重大な影響」が何であるかについて本書では詳細に取り扱っている。
あとがきには日本に20年以上暮らす、フィリピン出身で著者の知人が書いた母国フィリピンの言語状況を説明した文章を載せている。
「英語化や英語の公用語化を実施しても、英語を高いレベルでこなせるようになるのは一部の『エリート』のみであって、しかもそのエリートが国民のことを考えるより、外国企業などの『手先』と化してしまうことがあります。(・・・中略・・・)フィリピンはもっとも『グローバル化』、つまり『アメリカ化』してきた国のひとつです。日本で英語化を推進するにあたって、フィリピンがどうなってしまったかのかを参考にしていただきたいと思います」
フィリピンと日本とでは簡単な比較はできないでしょうが、先行事例として受け止める意義はあると思えます。
子供の英語学習が国の将来の形に繋がっている。学校のテストや受験のためということを追いかけながらも、知らぬ間に、何か大切なものを忘れてしまっていると言うことにならないように、していきたいものです。
著者も英語学習を否定しているわけではなく、その学習がある時期の国の政策によりある方向性を持ってしまうと、小学校から高校生までの日本の児童生徒たちの学習に大きな影響を与えてしまう。その作られる現実はどういう可能性があるのかを言わばシュミレートしている。
私たちとしては、その流れに無自覚に流されていくのか、それとも意識的にその流れを意識しながらも自分たちにとって最適な英語学習とはどういうものなのかを考えて携わっていくことの大切さを強く思いました。
また、この本については今後機会がありましたら、各章ごとに自分の感じることとあわせ本ブログでもあり上げていきたいと思っています。
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