小学4年生で出会った子たちがあっという間に6年生になって、漢検5級に進んだり、英語の発音がよくなったりしている姿を見ると、本当に時の速さを痛感します。
背もぐんぐん伸び、大人びた言い回しを何気なく使い、周囲への気遣いができるようになっている姿。
成長を心から喜びつつ、同時にふと人生という、平均80年ほどの時というものの意味を改めて考えます。
先月母を亡くし今までかつて味わったことのない喪失感に苦しんでいます。
といっても職場で暗い顔をしているわけではありません。すべての生徒と挨拶やジョークを交わし、登塾を歓迎し、テストを応援し、授業で活発なやり取りをして日々を送っています。
それでも常に、もう母と会うことができないという現実を受け入れるのにまだまだ相当に長い時間が必要であることを感じています。
親は自分の命の根源で、成人してからは中心的なものから背景へと転換はしていきますが、いずれにしても
生きる意味の大きな部分を占めている存在です。
大人になってからも母の喜ぶ顔や美味しいという時の言葉や表情が私の元気の素でもあったのだと、遺骨になった事実を受け止めるのは私にとって今までのどんな難しい試験よりも厳しい課題となっています。
暗い話題で申し訳ありませんでした。
學志館は従来の、生徒一人ひとりを大切にし、ただ勉強するだけではなく、子供たちが大人に向かっていく過程で身に着けていく価値観やモノの見方、考え方に前向きにかかわっていくという姿勢をこれからも貫いていきます。
人を押しのけるための学びではなく、生きていることを積極的に楽しむための勉強であることをさまざまな場面やタイミングで自然に生徒に発信し続けていきます。
今年高校受験を終えた子たちは、全員が、入塾時よりはるかに成長し、真剣に取り組み、また理解することを楽しんで合格を勝ち取っていきました。
あのクラスの雰囲気とプライベートの充実感をこれからも一人でも多くの生徒に味わってもらいたいと思っています。
母の死を契機に人生の時間に思いを馳せました。
50年生きて438,000時間。20年なら175,200時間。
こう計算してみると本当に短いような気もします。幼い時、若い時は永遠に続くような毎日の中で、今何をすべきかに迷うこともあるでしょう。
でも思っているよりもはるかに短い人生を、自分を育て、他人の良さや醜さから自己を振り返り、そして目標を見つけてそこに向かうことの大切さを今一度生徒たちと話す機会が自然に持てたら、
きっと職務のために母と過ごした時間が短くなったことを天国で気持ち良く許してくれるだろうと思います。
夏から學志館の仲間になってくれるたくさんの生徒さんがいると思います。
科目もいろいろあるし、部活との両立で疲れたり、得意不得意で悔しかったり、小テストで残されたりと辛いこともあるかもしれません。
でも教えている先生達はみんな心からその頑張りを応援しています。
心配しないで學志館のドアを開けに来てください。
いつでも見学や体験ができます。
長いようで短い人生は、長期目標と短期目標を上手に組み合わせると格段と充実させることができます。
私が大学院に行くことを誰よりも応援してくれた母に感謝しつつ、また新しい生徒さんたちと会えることを心から楽しみにしています。 2011年6月15日
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