生徒によると、ブログというものは日記なのだから毎日更新するのが普通だよということ。月に一度か二度しか書けていない私はとてもブロガーとは言えず・・まあ初心者ということでお許しください。
ところで、過去に戻ってみたいと一度も思ったことの無い人は少ないと思います。タイムマシンで時空を超える話は繰り返し人の創作内容に登場し、またそれを鑑賞する人の想いを誘います。私も中学生の頃に戻れるならああもしてこうもして、何よりももっと真剣に勉強して、アカデミックなスキルをいろいろと高め、深め、成人後は大学の研究室等で後進の指導を専門性を通してしてみたかったと思うことが良くあります。
だからこそ、
今思春期の真っ只中にいる生徒たちには、その可能性を少しでも広げて欲しい!今怠惰な時間を積み重ねることがどれほどもったいないことかと、直接こういう風には伝えはしませんが、いつも胸にある想いです。
ただ、遣り残したようなややうじうじした思いは、子育て後にまた勉強を始め、仕事に繋げるようになってからは半減し、逆に人生が一度しかなく、また冷酷に有限であるからこそ様々なことに意味があるという考えに入れ替わっていきました。Ken Grimwoodの「リプレイ」を読んだことがある人は多いと思いますが、この小説によって、人生は、繰り返されないこそ弱々しくも美しく、儚いながらも力強いということがはっきりとしてきたのです。
この小説の中で主人公はある時点からのループ上のリプレイを何度も何度も体験します。初期のパニックから落ち着き始めると、リプレイ以前に学んだり、たまたま知っていた情報を元に財産を築くことに着手し、人生の様々な選択の場面では当然ながら間違いの無い賢い選択をしていきます。しかし、何度も繰り返される人生は、既視感の連続で次第に拷問のように苦しいものになります。次の1秒に何が起こるかわからない、だからこと見えない未来を少しでも良くしようとする想いにこそ人生の意味が集約されていたと気が付くのです。
これを読めた中年期のある日に私はとても落ち着いた気分を味わいました。 そしてまた、若い人の可能性を信じて良いメッセージを発信し続けることの意義も確認できたのです。
2月4日に慶応大学の日吉来往舎でのアカデミックスキルズのコンペティションに行ってきました。様々なテーマで論文の発表がなされ、日本の学生に欠けているとよく嘆かれる論文力のスキルアップに切磋琢磨していました。論拠に隙があると足腰の弱い論文になるため、取り組むと決めたテーマに関しては慎重かつ緻密な精査が必要となります。内部矛盾があれば一気に駄作の烙印が下されます。しかしこのようなイベントを通じて参加の機会を得ている学生たちは、後の卒論、修論できっとすばらしい成果を見せてくれることでしょう。 こうした取り組みには、大学内部だけでなく、社会全体で応援する仕組みが欲しいと感じました。
未知である未来の意味、それは潜在力が顕在化するプロセスの醍醐味でもあります。宇宙レベルで見れば瞬く間の一人の人間の生命の長さですか、だからこそ懸命に生きる、そして消費のために生きるのではなく、何かを生み出すために命があるということを改めていろんな形で生徒に伝えられたらいいなぁと思う日々です。 學志館 能見台校 西山
コメントしてみました♪ 【笑】
私もブログやってます☆
1日 2回くらい更新 【多】 【笑】
投稿情報: LONDON | 2010/03/07 23:46