冬期講習の前半が終了しました。また年明けに!と元気に笑顔で帰っていった生徒達の姿に、改めて感慨を覚えます。一年前の12月に池子のピカピカした顔の子供達に魅了されて以来、学習を通して人と関わっていくことが常に課題であり、試練であり、また大きな喜びとなっていった日々でした。
能見台校に赴任してから、お母様たちと対話する機会が増えたことは大きな収穫でした。 親は、自分の子供時代の学習環境を回顧しながら、今成長期にある子供にどういった言葉が適切で潜在力をひきだしてくれるのか常に模索しています。學志館に相談に来てくれるご両親は皆さん、
わが子に適した環境や学習の道筋を真剣に考えている方たちばかりでした。そして、なぜか共通してとても明るくて前向きなお母さんたちが多い。受け入れて教える立場、片や託す立場の違いはあっても、子供たちの可能性を信じているというポジティブさを私たちは共有しているのだと思います。そうした背景があるから、対話の中から信頼の芽を育んでいけるのだと思います。
ところで、親世代のことにスポットを当てさせていただくと、上手に加齢していくということがなかなか上級の課題であるということに気がつきます。上手に年をとっていく親の姿は、子供の価値観に大きな影響を与えると私は確信しています。ですから!若さ至上主義のような下等な幻想に惑わされてはいけませんね。 市場では、○○才若く見える××さんの秘密は△ドリンク?☆クリーム?等というような広告宣伝が溢れていますが、 見かけが若く見えることはもちろん悪いことではないですが、それは歳相応の内容を持った人間が二次的に考えても良い話で、それ自体が目的みたいになったらあまりにも軽薄・・。痛すぎます。
人は、人生の年輪の重さをそれぞれに身にまとって、経験を言語化し、次世代に伝えていくのが自然な形だと思うのです。読売新聞のコラムで、芥川喜好さんも書いています。時に時代の論調に取り残されて、自分の文化を独自のスタイルとして持つことが、長い光陰を通過した人の明るい午後の好ましい形ではないかと。 国語の文章を理解する力も、日々の生活の中で親と子が落ち着いた対話ができているといったようなことに影響を受ける気が私はしています。文学への鑑賞眼には安定した人生の価値観がとてもいいアンカーになると思うのです。 だから、老けていても気にしないでねと逃げるわけではありませんが(~_~;)、教師や親たちの落ち着いた視点というのは、時に励ましの言葉よりも子供にとって貴重であるということを、またこの一年で確認した気がしています。
来る年も、より多くの素敵な出会いを重ねていきたいと心から思っています。 そして新しい年が子供たち、そして見守る親たちにとって実り多き一年となりますように。 學志館 能見台校 西山 緑
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