最近の生徒の言動で気になることの一つに、「めんどくさい!(めんどくせ〜!)」というのがある。主に勉強をする際に、問題にとりかかるとき、宿題を出すとき、何か作業をさせるときに生徒が発する言葉である。
それを、生徒の父母に面談時にうかがうと、家でも同じような言葉「めんどくさい!(めんどくせ〜!)」をよく家でも発すると言う。さらに、「家で何か仕事をさせていますか?」と伺うと、そういう言葉を発する生徒に限って家では「お姫様」「王子様」状態で何もさせていないと言う。自分の食べた食器を片付けたり、家庭のゴミを出したり、お風呂の掃除をしたりと家庭によりいろいろと仕事はあるはずであるが、それをまったくさせていない家庭が多い。
自分の家庭でも3人のうち上の2人には小さいときからよく仕事なるものをさせていた。食器の片付けはもとより、ゴミ出しや、風呂の掃除など。主にうちの奥さんがさせていたが、小さいときからさせていたので大きくなってからもすることが自然で文句も言わずによくやってくれた。しかし、3番目は上の子たちがよくやってしまったからか、年も離れていたせいか、少し仕事量が少なくその分、甘く育ってしまったところがある。
勉強は子どもたちにとっては仕事のようなものである。面倒なことをやらなくてはならない。自分の家で「おなかすいた!」といえば自然に食事が出てきてその後片付けもせず、好きな音楽やテレビを椅子に座ったまま楽しめる環境につかっていれば、次第にそういう状態が当たり前となり習慣となり、好きなこと興味のあることでないとやらなくなり、理屈でやらなくてはならないと分かっているが、つい、「めんどくさい!(めんどくせ〜!)」という言葉が出てしまう。それを、また、周りの大人が放置すると「めんどくさい!(めんどくせ〜!)」と発することも習慣となってしまい、本当にエネルギーを集中しなければならないときに、エネルギー漏れを起こし肝心なときに力を発揮できなくなってしまう。ということが多いのではないか。まだまだ、子どものうちなら習慣は矯正することができる。しかし、そのためには新しい習慣を作って行かなくてはならない。古い習慣と新しい習慣との戦いになる。どっちが勝つかでその子どもの将来は決まってしまうと言っても過言ではないように思う。
小6の国語の授業で向田邦子のエッセーを読んでいたとき、よく父親の話が出てくる。家庭では絶対専制君主であり、暴君である。向田氏は父親の本当の優しさも知っているので率直に体験されたことを書いているのだろうし、また、時代も戦前の話である。けれど、今の生徒にとっては(テレビドラマの「おしん」も知らないので)とんでもない存在で、「そんな父親ならすぐ離婚だー」「ゆるせないー」と総攻撃である。昔は父親は確かに絶対的な存在であった時代もあったが、、、今は見る影もない。
むしろ、かつての暴君に子どもがなってしまっているのではないか?
「鉄は熱いうちに鍛えよ」これは以前にも取り上げたが、やはり金言と思う。子どもというより大人にとって。
「めんどうくさい」という言葉はKipの生徒でも連発しています。「勉強をするのがめんどうで、どうやって成績を上げるの?」
「何のために塾にきているの?」なんて言いながら叱りどばしていますが。
先生のご意見と全く同感です。
今の子どもたちは、あまりに何でも与えられ、過保護に育っているので、ガマンができないのですね。
ただ、中学受験や大学受験生は、志望校突破のために自主的に学習をしているせいか、発しません。目標達成のために努力をすることは当たり前なのだとわかっているからです。
私たち大人がもっともっと子どもを鍛えていかなければ、将来彼らが苦労をします。
キップ・ニュース・アラカルトにに是非このブログを紹介させてください。
今後とも宜しくお願いいたします。
投稿情報: ワールドカップで睡眠不足気味の塾長 | 2006/07/07 00:38
キップさんありがとうございます。教育活動でうまく行ったことを共有することは難しいですが、苦労していることは共有しやすいしエネルギーをもらえて元気が出ます。子どもたちの言葉に世代のギャップを感じるときもありますが、その言葉も子ども一人が発するのではなく、子どもの背後に広がる世界が語らせていると受け取ると自分の立脚点に気づかせてもらうことがあります。お互い頑張りましょう!
こんなブログでよろしければキップ・ニュース・アラカルトにご利用ください。
これからもよろしくお願いします。
投稿情報: そろそろ寝不足を解消したい塾長 | 2006/07/07 01:33