先週から保護者面談を実施しています。年間に定期に3回行っている、今回は今年度1回目の面談です。小学生から高校生までお預かりしているので話題は多様ですが、いつも発見があり、生徒の家庭との話は有意義でもあります。以前は
父母に話すことをもう一度生徒にも話さないといけないような状況、つまり家庭で子どもと親とのコミュニケーションが取れていないため親に話したことが子どもに伝わらないことが、特に中学生以上になると多々あったのですが、最近はほとんどの家庭では親子との話がよくなされているようで、同じことを2度話すことは少なくなりました。その理由は様々考えられますが一つには、家庭が子どもを塾に通わせる問題意識が明確になってきた。神奈川県では高校入試制度が毎年のように変わり、それへの問題意識を持たざるを得ない状況があります。高校入試における入学試験と内申点の比率の変化、前期入試の導入、学区制の廃止、独自入試の導入、2期生の導入、絶対評価から相対評価へとなどなど他にもありますが、ここに思いついてあげただけでも大きな変化です。しかも、ここ何年間か毎年何かが変わっています。来年以降もさらに変わることは予想されますが、それはまた別の機会に取り上げます。
面談の話に戻りますが、保護者の方と面談をして気がつくことは、やはり、直接お会いして話をしなければお互いの思うところは伝わらない。プリントや冊子のようなもので、こちらの意図することを文書で伝えてもこちらが思うほどには伝わらない。もちろん、文書の表現の問題もありますが。会ってお話しした方が当然のことですがよく伝わるし、どう受け止めて頂いているかの反応もわかります。10人いれば10人の子どもを取りまく多様な状況がある。まさにそういう意味では、教育は一般化できる部分と特殊な部分を1人の子どもの中に併せ持っている。しかも、特殊な部分が分母で一般的な部分が分子になる。
同じ意味で、生徒に勉強を教えることは通信教育やインターネット等の間接的な関わりには限界がある。その点を認識して利用しないと伸ばし変わっていかなくてはいけないところを、見ずに過ごしてしまう。機械的に学ぶことはできても身につけることも機械的な内容と制約がある。同じく空間で同じ時を過ごし、自分の内にある「学習ライン」(前回のブログを参照)を着実に歩んで行くには、教材や道具以外の何かが必要となる。これは学校も同じである。
というようなことを面談の話から脱線してしまいましたが、面談についてはあと、半分ほどの残っていますのでまた、お伝えしたいと思います。
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