今週の火曜日。中三の社会と国語の授業。中3は明日から修学旅行。朝は早いらしい。5時何分かに近くの駅に集合とのこと。 しかし、授業はいつも通りに。すると、
生徒たちの意気込みが違う。毎回、社会は前回の確認テスト。国語は漢字テストを行う。合格点に達しなければ居残りになる。前学年からの継続の生徒の方が多いが4月から新参入の生徒もいる。そのため、いつもは各テストは半数以上が居残りになる。この状態は次第に改善されて9月以降はほとんど居残りはなくなることを目標にしている。社会は普通にしっかり復習してくれば合格できるが、漢字は普通程度だと居残りになる、ましてやってくるのを忘れたなんていうのはとんでもないことに、、、 つまり、シッカリやってこないと合格はできない。なぜなら、合格基準点が9割で漢字テストも単に読み書きだけではなく、音訓・四字熟語・送り仮名・漢字の構成と様々。がまだ、5月なので半数以上はと思っていた。 ところが、その日はほとんどの生徒が1回で合格! さすが中学3年生。自覚している。しかも、宿題もちゃんとやって来ている。手を抜いていない。(感動!) こっちが感動を顔に表すと緊張が解けそうなので、「あたりまえだが、よく頑張った!」くらいに。 内心は非常に感動していたのに、、、
また、翌日の水曜日は中2の英語。英語も最初に単語テスト。今回は不規則動詞28個。「意味・原形・過去形」のうち、1カ所だけ記入してあり、後は自分で記入する。しかし、これは前回と同じテスト。なぜもう1度テストをしたかというと、中2も次の日から2泊3日のキャンプ。前回のテストはほとんど全員が再テスト。まだ、中2は固まっていない。父兄の方から何件か、事前に「再テストは別の日にできないでしょうか」とメールを頂く。シッカリやってくれば1回で合格できると思っていたので、心配ない旨の返事をさせて頂く。 が、今回は半数が再テスト。気を抜いてほどほどにしかやってこない者も。まだ、中3ほどの意識になっていない。 いつも再テストの生徒が、何人か1回ではじめて合格。これは、大いな成果と自己満足。
自分は生徒のコーチ役と思っている。生徒のできないこと、不可能なことを無理にさせたりはしない。その生徒たちのそのときの実力・意欲を見極めて、さらに一歩を踏み出してもらう。
人間は恒常性(ホメオスタシス)【homeostasis】 として知られる、「変化に抵抗し現状を維持する特性が遺伝的にプログラムされている」という。変化が生じたときにはそれを元に戻そうとする働き、すなわち、生じた変化を打ち消すはたらき(負のフィードバック作用)が存在するという。人間の肉体保持には欠かせない作用だが、それが精神的に働くと、「分かっているけどやめられない」というように過去の習慣から脱することがなかなかできない。これを学習の分野で考えると、学習の継続、そのために、いかにして学習習慣を確立するかという話になる。生徒の場合、学習で到達できるレベルはスピードの差はあっても、ある段階までは誰でも到達できると思っている。今まで見てきた生徒たちはそうだった。確かに特殊なケースはあるが、能力的にそれほど差があるとは思えない。あとは、メンタルの差。これがすべてを左右する。成績のいい生徒もいま一つの生徒もメンタルの問題は同じ。出来のいいことを鼻にかけたり、気を抜いたりするのは許さない。逆に出来が悪いからとふてくされ自分の責任を回避することも許さない。
先の話に戻る、新しい一歩を生徒たちには常に踏み出してほしい。老人ではないのだから。しかし、老人にはそれは失礼だ。知り合いの年配の方に、先日久しぶりにお会いしたとき杖をついておられなかった。「杖はどうなされましたか?」と伺うと、「3ヶ月前に杖をつくのはやめて、できるだけ自分の足だけで歩こうとしている。けれど、3ヶ月経っても、杖の感覚がなかなか無くならないので、危ないときがある。」とおっしゃっていた。老人だけど新しいことに挑戦している。ましてや、小学生・中学生・高校生には毎日、新しい一歩を踏み出してほしい。
ただし、習慣の力は強い。侮ることはできない。七転び八起きだ。 習慣を脱するには、痛みが必要になる。
今回の中学生たちは、修学旅行の前日、キャンプの前日という絶好の機会だと思った。それに果敢に挑戦し、「一つの到達」を彼らは成し遂げた。そのため、このことは是非取り上げたいと思い、今回この場に記させてもらった。
最後に最近読んだ本に古代ローマの思想家セネカのことばが引用されていた。
「困難だから、やろうとしないのではない。やろうとしないから、困難なのだ。」
つまり、今回のケースに言い換えると、
「彼らはやろうとした。だから、やり遂げることができた。」 (by イケゴのセネカ)
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